くばせのつらなり|Shape of Dialogue 展覧会レビュー 平田剛志(美術批評)

ピュシスの

 

本人の声を「肉声」というが、声には隠された「肉体」があるのかもしれない。

KUNST ARZTで開催された林葵衣の個展「くばせのつらなり|Shape of Dialogue」は、見えざる肉声がもつ生々しい肉体性を示す林の新たな展開が見られた展示だった。
これまで林は、スタンプや口紅による痕跡絵画、ポリエチレン樹脂による彫刻を発表してきた。それらは一音のかたちや動き、ズレの連続性を見せるモノローグだった。対して、本展では、他者や異素材と「会話(ダイアローグ)」したポリエチレン樹脂による彫刻11点を展示した。

タイトルの「くばせ」とは、「目くばせ」「気くばせ」などに用いられ、「くわせ」「くはす/食わす」から変化した言葉だという。林の関心は、他者との会話を論理的に整えるべく気をくばる際に生じてしまう言い淀みや途切れ、無音などの不格好な言葉の現れを捉えることにある。
会場に入って目にするのは、空中に浮かぶ透明なかたまり群である。近づいてみると、丸まっていたり、伸びていたり、ところどころ色がついていたりする。まるでゼリーのように透明感がある抽象彫刻だ。

 

《Phonation Piece -DIALOGUE-》(2025)

 

この《Phonation Piece -DIALOGUE-》(2025、ポリエチレン樹脂、テグス)と題された「かたまり」は、温めると柔らかくなり冷やすと硬化する透明なポリエチレン樹脂を素材としている。作家はこれを自身の口に入れ、単語や一音節の言葉を発話して型を取り、吐き出して生まれたのが本作である。
その内容は、林と仏師である父が仏像の摩利支天尊について交わした会話である。林はポリエチレン樹脂を口に含んでこの会話を1人で発話し直し、会話の時間軸や間を含めて再現した。抽象的な声の彫刻は、音符のようにリズムがある。壁面には、手書きで、「これはなんていう ひと なんやろ」「これが かいらしい やろ」など、小さくか細い字で書かれ、浮かんだ「かたち」の意味が判明する。
会話のなかで摩利支天尊の仏像について話しているのは象徴的だ。なぜなら、摩利支天尊は、陽炎を神格化した仏教の守護神で、陽炎のように姿が見えない特徴がある。林と父の会話の声もまた陽炎のように、かたちは見えても「意味」が見えない。

 

《Phonation Piece -SIRITORI-》2025

 

 

天井から直線上に吊られた骨のような《Phonation Piece -SIRITORI-》(2025 ポリエチレン樹脂)はしりとりをモチーフに言葉と色の階調がつらなる。各パーツは、「しりとり」「りす」「すすき」など語尾と語頭の口内の型が同じため、一つながりになっている。骨のように連結した「しりとり」は、発音の形態と言語の構造が噛み合っている。

 

《Phonation Piece -DOUSHITE-(Distortion)》(2025)

 

 

《Phonation Piece -YUUYAMI-(Distortion)》(2025)

 

壁面や小室に展示された《Phonation Piece -Distortion-》シリーズでは、フレーム内にポリエチレン樹脂と木やアルミ円柱、虫ピンなど異素材を組み合わせ、言い淀みや言葉に詰まる様子が表された。また、「どうして」と発話した樹脂を半分に切った《Phonation Piece -DOUSHITE-(Distortion)》(2025 ポリエチレン樹脂、虫ピン)など、ポリエチレン樹脂のかたちに加工や造作を試みた作品が並んだ。

以上、本展では会話の時間を空間的にあらわしたり、言葉を積み重ねたり、異素材と組み合わせるなど、複合的、立体的に構成した点が特徴だ。林がこれまで手掛けたポリエチレン樹脂による彫刻は標本のようにライトボックスに並べて展示されていたが、これまでの作品が50音やアルファベットの学習だったかのように、今展では新たな「肉体=文体」を獲得しているのだ。

 

 

そうした「肉体=文体」の獲得は、「彫刻」の制作工程にもある。林は本展のステイトメントで出品作を「彫刻」と呼んでいる。熱いポリエチレン樹脂を口中に含んで発話し、吐き出す行為は、彫刻制作とは思えない工程である。その制作は、食事や嘔吐を思わせる「ふるまい」だが、「声」を発話する工程は、彫刻におけるカービング(Carving)を思わせ、木彫像のプリミティブさを想起する。そもそも言葉を話すとは、実は目に見えない「かたまり」を吐き出す行為とも言えるだろう。

 

《Phonation Piece -SHAGAMI AOGIMI TOBU-(Distortion)》(2025)

 

 

これら林の「かたまり」は、ロゴスとピュシスの共存を感じる。林はこれまで一貫して文字や言葉など論理的、客観的な「ロゴス(logos)」をモチーフに制作してきた。対して、その制作手法は「ロゴス」の対義語であるギリシア語で「自然」や「本性」を意味する「ピュシス(physis)」に基づく。林にとっての「自然」とは、人間にとって最も身近な自然である「身体」である。林は、手の反復や口紅による発話、口腔内の発話を型どる行為を通じて、自身の「自然」が生んでしまう感性的、官能的、身体的な偶然性によるズレや曖昧さ、抽象的な「肉体」を生み出してきた。

哲学者の池田善昭[1]は、「ピュシス(自然)は「隠れることを好む」とされ、常に隠されている存在」だという。林が声のかたちを口腔内から取り出す行為は、身体=自然の中にある見えない声をポリエチレン樹脂を「媒体(メディウム)」に可視化することにある。その姿は、論理的な言葉が本来もっていた自然の「肉体」であり、言葉以前の根源的な「声」のかたちだった。私たちの身体にはまだ見えない「声」がたくさん残されている。

 

平田剛志 (美術批評)
(2026.02.09)

 

撮影|守屋友樹


[1] 池田善昭、福岡伸一『福岡伸一、西田哲学を読む 生命をめぐる思索の旅』小学館(小学館新書)、2020.12、49-50頁。