声の痕跡|Traces of voicer 展覧会レビュー 平田 剛志(美術批評)

 

AI(人工知能)による音声認識機器やアプリ、機械音声の普及により身体なき声との会話さえ行われる現代。声は人間だけのものではなくなりつつある。林葵衣は「声の痕跡」を主題に、発話する作家の身体性を内臓的、生理的に提示することで、忘れかけた人声の存在の大きさに気づかせる。

 

 

ギャラリー壁面に直線状に残された赤い口紅の跡。これは作家が口紅を塗った唇を壁に押し当てて発話した「唇拓」の痕跡だ。口紅跡といえばセクシャルなイメージを喚起するかもしれないが、筆記具やワープロソフトではなく、唇によるディクテーション(口述筆記)である。

 

 

 

林が発話する言葉は、ギャラリーがかつて喫茶店だったというエピソードに基づき、この場所を追想しつつ見えた風景や音を口述した自作テキスト、喫茶店での父との会話などだ。だが、作品からは発話の意味内容は失われ、作者の唇の動きや息づかいが声色ならぬ口紅の色彩やかすれとなり抽象画のようだ。林は言葉の意味を伝えるのではなく、声の肌理(きめ)や皮膚感覚を通じて音なき「声」を空間に反響させる。「音の痕跡」を聞くことができるのか、鑑賞者を音声認識へと誘う。

 

平田 剛志 (美術批評)
出典元(2017.07.15 京都新聞掲)